松花堂昭乗は寛永の三筆(近衛信伊・本阿弥光悦・松花堂昭乗)の一人とされ書画や茶の湯に優れていました。
京都と大阪の中間にあった石清水八幡宮、滝本坊の住持でしたが、晩年には、隠居所としての松花堂を構え、風流な詫び住まいで生涯を送ったそうです。
昭和8年、湯木貞一氏が松花堂昭乗の旧跡での茶会に出向いた折、ある部屋の片隅に置いてある四角い器を見つけました。高さが3,5cmで田の字型の仕切りがあり、茶色で3ヶ所に墨絵が描いてあって、四方に金具が付いていました。 種子や薬入れ、また小物入れ、たばこ盆に使われていた、と聞きました。
湯木貞一氏は、これを料理の器としたらどうかと考え、その1つを譲り受けて持ち帰り、工夫を重ねました。
辺の寸法を縮め、高さを高く、やや深めにして元になかった蓋を付けて、四つのそれぞれの升に違う料理をバランス良く盛り込み、大寄せの茶会の点心などに用いたところ大変な好評を得ました。
戦後には徐々に広まり、現在では知らない人がいないくらい一般的になりました。
お領けいただいたものは、現在も大切に保存してあります。(湯木美術館蔵)